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浅井三姉妹誕生の地、小谷城へ(日本100名城) [関西]

岐阜城のあとは、一気に滋賀県に移動し、長浜市にある小谷城に行ってきました。

この時に感じたことの1つが、岐阜市の中心から高速道路までの遠さ。名神高速の最寄りのインター
まで岐阜城からだと19km、市役所からだと17kmくらいあります。全国の主要都市、あるいは県庁所在地
の中で、高速道路までの遠さでは1位なのでは、と思うくらい不便でしたね。

まぁ、それはそれとして、小谷城は、長浜市の小谷山にあり、戦国時代に浅井(あざい)家が3代に
わたって居城としていました。築城は大永4年(1524年)頃で、浅井亨政によります。
中世三大山城のひとつと言われていて、三代城主の浅井長政、織田信長の妹で戦国一の美女といわれた
お市の方、その間に生まれた3人の娘・浅井三姉妹(茶々、初、江)ゆかりの城です。

朝倉義景・浅井長政の連合軍と、織田信長・徳川家康の連合軍が戦った姉川の戦いを経て、4年あまりに
渡って織田軍から攻められ、天正元年(1573年)に落城し浅井氏は滅亡。小谷城は羽柴秀吉に与えられ
ましたが、
秀吉が琵琶湖畔に長浜城を築いて移ったため、そのまま廃城になりました。

日本100名城のガイドブックには、城下から本丸まで徒歩で40分との記載があり、雨の翌日に山城を
40分も歩くのは無理かも、と思っていましたが、番所跡付近までは車で行けました。番所跡からであれば
本丸まで15分くらい歩けば到着できました。これが、番所跡です。
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御茶屋跡。番所跡のすぐ上にある曲輪です。
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御馬屋跡。高い土塁が三方を囲む構造を持つ曲輪です。
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御馬屋の北東にある、馬洗池。その名の通りに馬を洗った池というよりは、桜馬場の南側の水堀、
という位置づけだったとも考えられています。
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桜馬場跡。大広間黒金門の南に存在した南北に長い曲輪。大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~ 」の
ロケの中心地。右手に、浅井氏家臣供養塔があります。
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首据石。六角氏との戦いに内通した今井秀信の首をさらしたといわれる石です。本丸などへの
登り道の途中に生首を置かれたら、裏切るものもいなくなりますね。
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黒金門跡の石垣。両袖のくずれた巨石が、破城の跡を今に伝えています。
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ちなみに、御茶屋から黒金門までを再現すると、こんな感じだったそうです。
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黒金門を通ると、目の前に広がっているのが、小谷城内で最大の曲輪である、大広間跡です。
南北に85m、東西に35mの広さで、御殿や土蔵、井戸などがありました。「千畳敷」とも言われ、
お江が生まれた曲輪です。奥に見えているのが本丸です。
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大広間跡にある井戸の跡。
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大広間跡から見た本丸跡。北側は石垣が積まれています。下の方は土に埋もれてしまっていますが、
高さ約4mあります。
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本丸跡の石垣。
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本丸跡。鐘の丸ともいいます。南北2段の構造で、北側の上段に櫓を付属する建物が建てられて
いました。落城前まで城主浅井長政が居住していたところです。本丸下の東西には、土塁が設けられ、
敵が本丸の側面を回れない構造となっていました。
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本丸の西側にある石垣。その上に、土塁が設けられ、側面を回れないようになっていたのでしょうか。
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大広間から本丸にかけては、こんあ構造になっていたそうです。
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本丸の北側にある、大堀切跡。尾根を大きく削ることで、番所から本丸までと、その上にある曲輪
とを区切っていました。
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大堀切の北側にある、中丸跡。南北に三段から成る曲輪です。
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一段目と二段目の間には、小規模な石垣が残っています。
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中丸跡の北にある、京極丸跡。守護京極氏の居所として用意した曲輪と言われています。南北に
四段の構造で、大広間に次ぐ規模の曲輪です。天正元年(1573年)8月26日、羽柴秀吉が急傾斜を登って
京極丸を急襲し陥落させて、本丸にいる長政と、小丸にいる長政の父久政との分断に成功。これが
織田軍の勝利を決定的としました。
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これも京極丸跡です。
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京極丸跡の北にある小丸跡。2代城主浅井久政が引退した後に住んでいたところです。その久政は
前述のとおり秀吉に京極丸を占領され、本丸との連絡が取れなくなったため、その日のうちにここで
自害しました。
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小丸の北にある山王丸の入口付近に散乱する石垣跡。秀吉による破城の痕跡のようです。
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散乱する巨石を踏み越えて上がったところが山王丸跡です。標高約400mのところにある、小谷城の
詰の丸で、4段から成る構造でした。
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山王丸の南側に残る大石垣。小谷城では最大規模の石垣で、高さは5mほどあります。
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この日は、この後の予定もあって、時間が足りず、浅井長政は自刃した赤尾屋敷跡をはじめ、
小谷城の周囲に点在する家臣の屋敷跡は訪ねることが出来ませんでした。紅葉の時期に行けば、
景色も堪能できるようです、またいつか、再訪してみたいと思います。

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