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埼玉スタジアムで、”We are the Reds!” [その他]

昨日(25日)、埼玉スタジアムで、J1 2ndステージ、浦和レッズとサンフレッチェ広島の試合
を見てきました。
普段、東京ドームに通うばかりの自分にとっては、なんと7年ぶりのサッカー観戦です。
もちろん、サッカーに興味がないわけではなく、むしろ、自分も、二人の子供も、サッカーを
やってました(やってます)し、自宅が浦和に近いこともあって、以前からレッズファンでは
あるのですが、これまで、長く、テレビでの観戦でした。
とはいえ、昨日は日曜にも関わらず、ジャイアンツの試合もなく、そこで、部活帰りの次男と
合流して、埼スタに行ってみた、というわけです。
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自分たちはメインスタンドの指定席で観戦してましたが、北側のゴール裏、ホームの自由席は
試合前から、大声援が続いてます。いやぁ、迫力ありますね。レッズの応援は。
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試合前の記念撮影。
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両チームのスターティングメンバー。槙野がこの日も欠場だったのは残念です。
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さて、試合の方ですが、前半から広島が、引いて守っていたため、レッズもなかなか、好機が
ない展開でした。そんな中で前半30分、関根がミキッチを倒してしまい、痛恨のPKか、と
思われたのですが...
31分、ウタカのシュートはゴールの枠の外へ。いやぁ、助かりました。
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そしてその3分後、武藤のクロスが広島のオウンゴールを誘って、レッズが先制しました。
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スタンドは一気に盛り上がります。0対1になっていてもおかしくないところで、逆に1対0と
なって、精神的にかなり楽になったでしょうね。
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その後は、広島が優位に進めるも、要所要所で、日本代表GKの西川が好セーブを連発。
前半は1対0で終了。
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後半は、広島の猛攻で始まりましたが、ここでも西川のファインセーブが続きます。
そして50分、興梠のゴールが決まって2対0に(シュートシーンの写真を撮るのは、かなり
難しいですね。野球の打つシーンの方が楽です)。
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更には60分、高木がGKとの1対1のシーンで冷静にゴールを決め、3対0に(写真はシュート
直後の高木選手です)。
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ここからも広島の攻撃は続きましたが、何とか0点に封じ込めて、そのまま試合終了。
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内容的にはかなり厳しい展開ではありましたが、スコアの上では完勝。2ndステージ優勝に
向け、大きく前進しました。
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試合後、メインスタンドの前で、選手一同がファンに挨拶。
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この日のヒーロー、興梠、高木、西川の3人は、熱いファンの前で手を振り、声援に応えます。
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勝利の日は、選手がグランドに並び、ファンと共に、オフィシャルサポーターズソング
「WE ARE DIAMONDS」を熱唱。
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良い試合でした。残り4試合、すべて勝ってほしいですね。
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で、勝利の余韻に浸りながら、埼玉スタジアムを後にしました(^^)。

諏訪 高島城へ [甲信越]

既に1か月が経過してしまいましたが、先月、諏訪にある高島城址を訪れました。
諏訪高島城は、天正18年(1590年)、当時の諏訪領主諏訪頼忠が徳川家康の関東転封に従って
武蔵国に移った後、諏訪に転封した、豊臣秀吉の家臣日根野高吉が、文禄元年(1592年)から
慶長3年(1598年)まで7年ほどかかって築きました。
(それまでの旧高島城は、北方にある茶臼山にあったそうです。)
当時は、城の際まで諏訪湖の水が迫り、湖上に浮いて見えたことから、別名「諏訪の浮城」と
呼ばれました。
1601年(慶長6年)日根野氏は下野国壬生藩に転封となり、関ケ原の合戦で東軍に属した諏訪頼水
が2万7千石で旧領諏訪に入封。以後、10代藩主忠礼に至る270年間、諏訪氏の居城となりました。
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葛飾北斎 景勝奇覧 信州諏訪湖)

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(日本100名城)高遠城へ [甲信越]

先月、桜の名所として知られる、日本100名城の一つ、高遠城に初めて行ってみました。

高遠城は、三峰川と藤沢川の間にある丘の上に築かれた平山城で、古くから諏訪氏一門の高遠氏
の居城でした。その後、武田氏の勢力下になり、天文16年(1547年)に拡張改修されました。
この改修を指揮したのが山本勘助と言われているそうです。
江戸時代になると高遠藩の藩庁となり、京極氏・保科氏・鳥居氏と城主が交代します。そして
元禄4年(1691年)内藤清枚が3万3千石で入封し、以後、高遠城は内藤氏8代の居城として明治
維新を迎えました。
明治時代になり、建物は払い下げられ、堀の一部が埋め立てられてしまいましたが、今も各
曲輪を囲む広大な空堀は残っているなど、戦国時代の重要な拠点だった様子を今もうかがうこと
が出来ます。

それでは、城内の写真をご覧ください。
大手門跡の石垣
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