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(伊勢)亀山城へ [東海]

伊賀上野城の次に向かったのが、三重県亀山市にある亀山城です。

亀山城は、それまであった戦国期の古城を基にして、岡本良勝により天正18年(1590年)に築かれ
ました。本丸、二の丸、三の丸からなり、天守も築かれましたが、その天守は、江戸時代の初めに、
丹波亀山城の天守を解体するように命じられた堀尾忠晴の間違いで取り壊されてしまったそうです。
寛永13年(1636年)、本多俊次が城主となると、亀山城の大改修に着手。東出丸や西三の丸、西の丸
が整備され、その形状が明治時代まで続きました。その際に、天守を失った天守台には、今も現存
する多聞櫓が建てられました。
現在、城址には、多聞櫓と石垣、外堀、二の丸帯曲輪、武家屋敷といった遺構が残っています。
写真は、本丸跡に建つ城址碑です。
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タグ: 亀山城
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(日本100名城)伊賀上野城へ [東海]

一人旅の最終日の朝、三重県伊賀市にある伊賀上野城に行ってみました。

伊賀上野城は、天正13年(1585年)、大和郡山から移った筒井定次が古館跡に築いたのが始まりです。
定次は三層の天守を建て、北側に表門を構えました。
その後、慶長13年(1608年)に、徳川家康は定次を改易。大阪城への備えが必要だったことから、築城の
名手、藤堂高虎が伊予今治から入封します。高虎は伊賀上野城を西に拡張し、豊臣方に備えて高さ
約30メートルの石垣や水堀などを築きました。また五層の大天守も建設しましたが、完成間近の
慶長17年(1612年)9月に暴風により倒壊。その後、大阪の陣での豊臣氏の滅亡と幕府の城普請禁止策
とにより、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のままとなり、伊賀一国の城と
して藤堂氏の城代家老による執政体制が幕末まで続きました。
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伊賀鉄道の忍者列車 他 [鉄道]

一人旅の四日目、4月8日に、三重県の伊賀上野~伊賀神戸間を走る伊賀鉄道の200系「忍者列車」を
撮ってきました。伊賀鉄道の200系は東急の1000系を改造した車両で、2009年から「忍者列車」
ラッピングで運転しています。青色、ピンク色、緑色の3種類があり、それぞれ異なるラッピングが
施されています。
こちらは、伊賀上野駅で撮った、ピンク色の「忍者列車」です。
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長浜城と長浜駅舎 [関西]

 小谷城を後にし、次に向かったのが長浜城です。

 長浜城は、小谷城主浅井氏との戦いの功労により、浅井氏の領地を与えられ小谷城主となった羽柴秀吉
が、琵琶湖に近い今浜(現在の長浜)の方が便が良いとして築いた城です。天正3年秋頃、城が完成
すると地名を今浜から長浜に改め、秀吉は小谷城から家族とともに移り、同時に城下町も小谷から長浜に
移しました。
 天正10年(1582年)、織田信長亡きあと、長浜城は一時的に柴田勝家の甥の勝豊が城主となりますが、
その後すぐに秀吉は勝豊を降伏させて長浜城を取り戻しました。
 秀吉が大阪城に移ってからは、山内一豊、内藤信成、内藤信正が城主となりましたが、豊臣氏の
滅亡後は取り壊され、石垣など大半の資材が彦根城の建築に利用されました。
 昭和58年(1983年)には、市民の寄付金などで模擬天守が建設されています。

 その長浜城ですが、桜はまだ満開には早かったようですが、桃(だと思いますが...)がきれいに咲き
ほこっていました。下の写真は、(たぶん)桃の花と模擬天守です。
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浅井三姉妹誕生の地、小谷城へ(日本100名城) [関西]

岐阜城のあとは、一気に滋賀県に移動し、長浜市にある小谷城に行ってきました。

この時に感じたことの1つが、岐阜市の中心から高速道路までの遠さ。名神高速の最寄りのインター
まで岐阜城からだと19km、市役所からだと17kmくらいあります。全国の主要都市、あるいは県庁所在地
の中で、高速道路までの遠さでは1位なのでは、と思うくらい不便でしたね。

まぁ、それはそれとして、小谷城は、長浜市の小谷山にあり、戦国時代に浅井(あざい)家が3代に
わたって居城としていました。築城は大永4年(1524年)頃で、浅井亨政によります。
中世三大山城のひとつと言われていて、三代城主の浅井長政、織田信長の妹で戦国一の美女といわれた
お市の方、その間に生まれた3人の娘・浅井三姉妹(茶々、初、江)ゆかりの城です。

朝倉義景・浅井長政の連合軍と、織田信長・徳川家康の連合軍が戦った姉川の戦いを経て、4年あまりに
渡って織田軍から攻められ、天正元年(1573年)に落城し浅井氏は滅亡。小谷城は羽柴秀吉に与えられ
ましたが、
秀吉が琵琶湖畔に長浜城を築いて移ったため、そのまま廃城になりました。

日本100名城のガイドブックには、城下から本丸まで徒歩で40分との記載があり、雨の翌日に山城を
40分も歩くのは無理かも、と思っていましたが、番所跡付近までは車で行けました。番所跡からであれば
本丸まで15分くらい歩けば到着できました。これが、番所跡です。
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霧に包まれる岐阜城へ(日本100名城) [東海]

(ようやく)一人旅の三日目は岐阜城からスタートです。

岐阜城は標高約330mの金華山の山頂にあり、日本の城郭の中での有数の高さにあります。
かつては稲葉山城と呼ばれ、当初の築城は鎌倉時代の建仁年間(1201~1204年)という、非常に歴史のある城の
1つです。戦国時代には斎藤道三の居城でもありましたが、永禄10年(1567年)に織田信長がこの城を攻略
し、この地方一帯を平定するとともに、地名を「岐阜」と改称。城も岐阜城とし、山頂に居住屋敷、
山麓に居館を設けるなど、天下統一への足掛かりに相応しい城へと改修します。

天正3年(1575年)に信長が安土城に移ってからは、織田信忠(信長の長男)、神戸信孝(信長の3男)、
池田元助(豊臣秀吉の家臣、池田輝政の兄)、池田輝政(後の姫路城主)、豊臣秀勝、織田秀信(信長の孫)、
と城主が変遷。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍についた、かつての城主池田輝政などに攻められ
開城。翌慶長6年(1601年)に徳川家康が廃城を決め、天守や櫓等が加納城に移されてしまいました。

現在、昭和31年に再建された天守が山頂にあるほか、ごく一部ながら石垣が残っています。
また、麓の織田信長の居館跡は巨石列や石垣が残っていて、建物のほかに庭園や池などもある、
かなり大規模なものだったようです。今も発掘調査が続けられています。

それでは、岐阜城に向かいましょう。下の写真は麓にある岐阜公園です。ここでも桜は満開でした。
ただ、残念ながら前夜からの雨がまだ止んでませんでした。
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タグ:稲葉山
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桜の咲く犬山城へ(日本100名城) [東海]

今回は、先月行った犬山城についての記事です。

犬山城は、天守が現存するお城の1つで、その天守は国宝に指定されています。創建時期は天正年間
(1573~1592年)、慶長5~6年(1600~1601年)など諸説ありますが、現存する12の天守の中で最も古いと
言われています。
当初は天文6年(1537年)、織田信長の叔父の織田信康によって築かれ、その後江戸時代初期にかけて何人も城主が
入れ替わりますが、元和3年(1617年)尾張藩付家老の成瀬正成が城主となって以降は、成瀬氏が代々城主を受け
継ぎ、維新を迎えました。
現在、犬山城は公益財団法人の所有となっていますが、平成16年までは成瀬家が個人所有している珍しい城と
しても有名でした。
明治初期に櫓や門の大部分は取り壊されたため、城址には天守以外の建物は現存していませんが、近隣のお寺に
幾つかの門が移築され現存しています。
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さようなら、都電荒川線7000形 [鉄道]

今回は岡崎城の次に向かった犬山城を記事にするつもりでしたが、予定を変更して、7000形の最後の2両、
昨日が最終日の7001号車と、6月に引退する7022号車を、昨日(4月30日)に撮ってきましたので、その様子を
記事にしてみました。

都電荒川線の7000形は昭和30年~31年に製造された旧7000形の台車などを再利用し、ワンマン化に
向けて、昭和52年に新造車体に更新された車両で、最後の2両が残っていましたが、昨日で1両が
引退し、6月上旬に残る1両も引退してしまうようです。
いかにも(昔の)都電らしい姿・塗装の2両の引退、非常に残念なことですね。
そのことを、あおたけさんの記事で思い出し、その最後の姿をカメラに収めようということで、
慌てて、昨日、行ってきました。

最初に向かったのが、梶原停留場付近。当初は王子駅前~栄町にいたのですが、東京都交通局
のHP上にある「都電運行情報」を見て、三ノ輪橋寄りに少し移動しました。そこで、まずやって
来たのが、ツーマン時代の赤帯塗装の7001号車。自分にとっては、これぞ都電、です。
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