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菊人形と紅葉の二本松城 [東北]

先月、7月にも行ったばかりの、福島県にある二本松城、別名「霞ヶ城」に行ってきました。
この時期、恒例の菊人形展「二本松の菊人形」が開催されていたのに加え、城内の紅葉が見ごろ
を迎えていたので、再び行ったというわけです。

まずこちらは、箕輪門前の二本松少年隊の像。菊の花で飾られていました。
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三春城址 [東北]

先日、福島県の田村郡にある三春城址に行ってきました。

三春城は永正元年(1504)に田村義顕により築城されたと伝えられ、以後、田村氏、松下氏等の
居城となりました。正保二年(1645年)に秋田俊季が5万5千石で入城し、そのまま秋田氏が
三春藩主の居城として君臨します。別名「舞鶴城」と呼ばれ、また、伊達政宗の正室、愛姫が
生まれた地、としても知られています。

こちらは、18世紀後半に7代藩主秋田倩季により、藩士子弟の教育を目的として設けられた
藩講所(学校)の表門で、倩季の筆による明徳堂の扁額を掲げていることから明徳門とも
呼ばれています。戦後、追手門があった三春小学校入り口に移され、現在は小学校の校門として
利用されています。三春城に関連する唯一の建築物のようです。
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小学校の校庭側から見た、明徳門です。
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山形城 ~日本100名城~ [東北]

本当に今さらですが、8月中旬に訪れた山形城、別名霞城の訪問記です。

その前に、最近、写真を撮りに行く、あるいはBLOGを更新する意欲が妙に減退してしまって
いて、鉄道写真は、8月23日に最後の北斗星を撮って以来、お城はこの山形城に行って以来、
ご無沙汰してしまってます。別に、病んでる訳でもなく、8月23日から先週までの間、東京
ドームには11試合も見に行きましたし、好きでもないゴルフを2回もやりました。
つまり、体調にも問題ないのですが、なぜか、カメラを持って出かけよう、という気分になって
来ないんです。今週末こそ、どっかに行ってみるかな。

とは言え、とりあえず、8月に訪れた、日本100名城の一つ、山形城について書いてみたいと思い
ます。

山形城は、延文元年(1356年)に羽州探題として山形に入部した斯波兼頼が築城したと伝えられ、
現在の城郭は11代城主の最上義光が築いたものが原型になっています。現在の二ノ丸の堀や石垣
は、最上氏改易後、鳥居忠政によって大改修されたと伝えられています。
最上氏の頃は57万石の大大名で、その後も鳥居氏、保科氏と幕府の信頼の厚い大名が配置され、
東北の軍事上の重要な拠点として、山形藩は重要視されましたが、その後は藩としての石高は
徐々に減り、幕末の水野氏の時には5万石の小大名となってしまいました。

そんな山形城の写真をご覧ください。
まず、こちらは二の丸南大手門跡の石垣です。
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米沢城址 [東北]

これも、8月中旬に米沢に行った時の記事になります。

米沢城は元々は、伊達氏の本拠地でしたが、秀吉の奥州仕置きにより、伊達氏は仙台に移り、
その後は会津若松に入った蒲生氏、上杉氏の支城となります。上杉景勝の時代には、直江兼続
が秀吉の特別なはからいで米沢城主となり、関ケ原の合戦後は、上杉氏の本拠地となりました。
現在の米沢城址の縄張りは、景勝に大改修を命じられた兼続が行い、慶長18年(1613年)輪郭
式の縄張りを持つ城が完成したそうです。当時の城は幕府に対する遠慮から、石垣はなく、堀と
土塁を巡らしただけのシンプルな構造です。加えて、明治になったすべての建物が破却され、
また本丸跡には上杉神社が建てられたため、いわゆるお城らしい雰囲気はあまり残っていません。

こちらは、本丸の東側にある、舞鶴橋です。上杉神社への参道として明治19年に作られた、
アーチ式の石橋です。江戸時代には、米沢城の正面にあたり、木製の太鼓橋が架けられていた
そうです。
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タグ: 上杉 米沢

(日本100名城)会津若松城へ [東北]

先月中旬、福島県会津若松市にある、会津若松城(別名:鶴ヶ城)に行ってきました。
会津若松城は、室町時代からあった葦名氏の黒川城を、蒲生氏郷が文禄2年(1593年)に整備
した際に、名称も若松城に改められました。その後も蒲生氏、加藤氏によって大規模な改修が
行われ、寛永16年(1639年)頃に現在のような姿が完成したそうです。
幕末の戊辰戦争で、新政府軍を相手に、1か月も籠城に耐えたことでも有名です。その後、
明治5年まであった天守閣や本丸御殿は、明治7年までにすべて撤去されてしまいました。

現在、本丸には、昭和40年に、幕末の姿であった5層の天守閣と走長屋が復元され、更には、
平成13年には、南走長屋と干飯櫓も復元されました。
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(日本100名城)白河小峰城へ [東北]

既に一ヶ月以上経過してしまいましたが、8月上旬に、福島県にある日本100名城の一つ、
白河小峰城に行ってきました。ここは、震災直後の2011年5月にも訪問しましたが、その時は
まだ、本丸周辺石垣が崩落していて、本丸には立ち入ることができませんでしたが、その後
徐々に復旧工事が進み、今年の4月から入城可能となったと聞き、再び行ってきました。

白河小峰城は、元々結城氏が築いた城ですが、天正18年(1590年)、秀吉から会津四郡を与えら
れ蒲生氏の領地となり、その後上杉氏、再度蒲生氏が支配。そして、寛永4年(1627年)に江戸幕府
は、白河に丹羽長重を入れて新城を築かせ、奥州の入口を固めさせました。長重は寛永6年(1629
年)より城郭の大改築に着手、寛永9年(1632年)に完成します。

その後は榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏など7家21代の城主の
交代があり、慶応3年(1867年)には白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところ
となりました。

幕末の戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟軍と新政府軍の激戦地となり、三重櫓などを焼失してしま
ったそうです。

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二本松城 (後編) [東北]

前回に続いて、二本松城の写真をご覧ください。

まずこちらが、本丸にある天守台の石垣です。
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(日本100名城)二本松城 〔前編〕 [東北]

7月下旬、福島県二本松市にある、日本100名城の1つ、二本松城址に行ってきました。
二本松城は1440年代に畠山満泰が築いた城で、その後、伊達氏、蒲生氏と城主が変わります。
蒲生氏の時代に石垣を用いた城に改修され、寛永4年(1627年)に入った加藤氏により近代
城郭へと大改修され、更に寛永20年(1643年)に丹羽光重が入封すると、三の丸御殿や箕輪門
を作り、城下を整備した、とのことです。
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二本松駅から歩いて城址に向かって歩き始めると、まず最初にあるのが、この大手門跡です。
奥州道中に面した、堀をともなった大手門で、通称「坂下門」と言われたそうです。
天保3年(1832年)、幕府の許可を得て建造した本格的な櫓門でしたが、戊辰戦争の兵火に
より焼失してしまったそうです。
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タグ:空堀 石垣
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紅葉の弘前城(後編) [東北]

しつこくなりましたが、日本100名城 弘前城の後編です。
最終回の今回は、中濠と外濠周辺、三の丸や四の丸の様子をお伝えしたいと思います。
まずは、東内門を出て、三の丸に向かうところで見た、中濠の紅葉です。どこまでも真っ赤です。
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紅葉の弘前城(中編) [東北]

紅葉に包まれた弘前城、今回は二の丸と本丸の様子をお伝えしたいと思います。
(1つの城址を3回にわけて記事にすることにしました)

こちらは、前編でも掲載しました二の丸辰巳櫓を、二の丸内から見た様子です。
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