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「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア」(その②) [鉄道]

今回は構内などにあった車両です。

まずは、JR貨物 大宮車両所の構内です。EH500-11
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「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア」(その①) [鉄道]

1か月も前のことですが、5月27日に、この時期恒例の「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア
の車両センター会場に行ってきました。

今年は、JR発足30周年ということで例年以上に盛大なイベントになるようでしたし、開場の30分前に並んでも入場できるのは開場の20分後、という昨年までの経験も踏まえ、開場(9:30)の1時間前には
現地に到着しました。ところが、すでにその時点で、開場を待つ人の列は約300m、最後尾は大栄橋(西)
交差点の近くまで来てました。その後も行列はかなり伸びたのでしょう。開場は結局、20分早まり
ました。来年は、1時間半前には現地に着くようにしようかな...

まぁ、つまらない前置きはこの辺りまでにして、会場内の様子をお伝えしたいと思います。
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懐かしの「新幹線リレー号」 [鉄道]

今朝、東北新幹線開業35周年を記念したイベントの一環として、上野大宮間に185系10両編成
による「新幹線リレー号」の復活運転がありました。

新幹線リレー号と言えば、昭和57年の東北新幹線大宮~盛岡間の暫定開業から昭和60年の上野開業
まで、上野~大宮間の輸送を担った、新幹線に乗車する人のみが乗れる専用列車でした。

あれから35年。当時とは緑の帯が違うとはいえ、久しぶりに見る185系の新幹線リレー号の姿に、
感無量、というと大げさかもしれませんが、とても懐かしい気持ちで列車を見てきました。

まずは、大宮から上野へと向かう回送列車。懐かしのヘッドマークが、良いですね。
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そして、上野発の新幹線リレー号。この臨時列車のツアーで盛岡へと向かう皆様が羨ましいです。
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サイドには国鉄時代の「JNR」のマークも。粋な計らいですね。
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この列車を待っているときに、EF65 1115が単機で通過していきました。
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そして、EF65 2097が牽引する臨配8593レ
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自分が高3の時に開業した東北新幹線が35周年かぁ。感慨深いと思いつつ、自分も歳を取った
なぁ、とも思いますね。少なくとも50周年の頃までは、元気でいたいなぁ(笑)。

桜満開の小田原城へ(日本100名城) [関東]

2か月前のことですが、4月の中旬、桜が見頃を迎えた小田原城へ行ってきました。

小田原城には、天守閣の周辺やお堀端などに約320本のソメイヨシノがあり、桜の咲くこの時期
には、30万人を超える花見客が訪れるそうです。

それでは、復興天守閣とその周囲の写真をご覧ください。
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タグ: あじさい

桜の咲く上野原で中央本線 [鉄道]

ちょうど2か月前の4月10日、桂川沿いに咲く桜とともに、上野原駅付近を走る中央本線の列車を
列車を撮ってきました。

到着したのは10時15分過ぎ。最初に通過したのが、E257系「かいじ101号」でした。
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タグ:鉄道と桜

(伊勢)桑名城へ [東海]

4月5日から8日に行った一人旅の最後の訪問地は、三重県桑名市にある桑名城です。
(2か月経過して、ようやく旅の日記が終わります)

桑名城が本格的に築かれたのは慶長6年(1601年)に本多忠勝が城主となってからで、揖斐川、長良川、
そして木曽川の河口に近く伊勢国の玄関口として重要視された地に、4重6階の天守を含む櫓数51、
多聞46という立派な城でした。ただ、天守は元禄14年(1701年)に街の大火で焼失し、その後再建
されず、また、明治になって建物は取り壊され、石垣四日市港の埋め立てに使用されて破壊され
たため、現在、城跡には堀とわずかな石垣が残るのみです。
そうした中で、市内の了順寺の山門は、桑名城の城門を移築したものと言われています。
こちらが了順寺の山門です。
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タグ: 城址
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(伊勢)神戸城へ [東海]

亀山城の次は、三重県鈴鹿市にある神戸(かんべ)城です。

神戸城は、神戸具盛が天文年間に築いた城です。天正8年(1580年)には織田軍の滝川一益の侵攻に
和睦し養子に受け入れた信長の3男神戸信孝が城を改修。今も残る天守台の上に5重6階の天守を
建てました。
その後、天領となっていた期間をはさんで、城主が度々変わったのち、享保17年(1732年)に本多
忠統が城主となり、維新まで本多氏の居城でした。
本丸跡には、今も、野面積みの天守台や土塁、堀が残っています。

写真は、本丸跡です。手前に城址碑と桜、奥に天守台が見えます。
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(伊勢)亀山城へ [東海]

伊賀上野城の次に向かったのが、三重県亀山市にある亀山城です。

亀山城は、それまであった戦国期の古城を基にして、岡本良勝により天正18年(1590年)に築かれ
ました。本丸、二の丸、三の丸からなり、天守も築かれましたが、その天守は、江戸時代の初めに、
丹波亀山城の天守を解体するように命じられた堀尾忠晴の間違いで取り壊されてしまったそうです。
寛永13年(1636年)、本多俊次が城主となると、亀山城の大改修に着手。東出丸や西三の丸、西の丸
が整備され、その形状が明治時代まで続きました。その際に、天守を失った天守台には、今も現存
する多聞櫓が建てられました。
現在、城址には、多聞櫓と石垣、外堀、二の丸帯曲輪、武家屋敷といった遺構が残っています。
写真は、本丸跡に建つ城址碑です。
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タグ: 亀山城
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(日本100名城)伊賀上野城へ [東海]

一人旅の最終日の朝、三重県伊賀市にある伊賀上野城に行ってみました。

伊賀上野城は、天正13年(1585年)、大和郡山から移った筒井定次が古館跡に築いたのが始まりです。
定次は三層の天守を建て、北側に表門を構えました。
その後、慶長13年(1608年)に、徳川家康は定次を改易。大阪城への備えが必要だったことから、築城の
名手、藤堂高虎が伊予今治から入封します。高虎は伊賀上野城を西に拡張し、豊臣方に備えて高さ
約30メートルの石垣や水堀などを築きました。また五層の大天守も建設しましたが、完成間近の
慶長17年(1612年)9月に暴風により倒壊。その後、大阪の陣での豊臣氏の滅亡と幕府の城普請禁止策
とにより、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のままとなり、伊賀一国の城と
して藤堂氏の城代家老による執政体制が幕末まで続きました。
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伊賀鉄道の忍者列車 他 [鉄道]

一人旅の四日目、4月8日に、三重県の伊賀上野~伊賀神戸間を走る伊賀鉄道の200系「忍者列車」を
撮ってきました。伊賀鉄道の200系は東急の1000系を改造した車両で、2009年から「忍者列車」
ラッピングで運転しています。青色、ピンク色、緑色の3種類があり、それぞれ異なるラッピングが
施されています。
こちらは、伊賀上野駅で撮った、ピンク色の「忍者列車」です。
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